そもそも「個性」ってなんだろう?
「個性」と言われたときに思い浮かべる内容は千差万別。男女の違いにはじまり、人格と重ねる人もいますし、努力で伸びる能力のことを指す人もいるでしょう。本当の意味での個性とは何なのでしょうか。
個性とは、お父さんとお母さんのそれぞれから受け継ぎ、生まれながらにある程度決まっているものです。男女の違いはもちろん、生きざまや人柄まで、遺伝子が描くシナリオによって、生まれながらに大雑把なストーリーが用意されているのです。ですが、決められている=変えられない、ということではなく、人間が進化してきた過程を考えると、この遺伝子のシナリオにはさまざまなストーリーを書き加える余白、加筆修正の余地が存在するのです。そして、この余白がもっとも広いのが、子どもの頃です。
親の先回りによって
個性が奪われる可能性も!
今頑張っておけば将来役に立つ、早くに始めた方が成果が上がると、幼い頃から習い事を詰め込んでさせているご家庭はけっこう多いものです。子どもが困らないように、幸せになるようにと、親が先回りして子どもの余白にどんどん書き込みをしているようなものです。僕は余白に何を書き込むかは子どもが決めることであって、親がやることではないと思うんです。
子どもが「やってみたい」そう思ったときに、経済的に余裕があればさせてみるのは悪いことではありません。ですが、お膳立てをしたり先回りをしたりする育児は、子ども自身が書き込むべき余白を、親が勝手に使ってしまうわけですから、子どもが本来持っているはずの個性を奪うことにもなりかねません。
子ども自身が「やりたい!」と
言える環境づくりが大切
個性を伸ばすために必要なのは、先回りして何かをさせることではなく、子ども自らが「やってみたい」と言える環境をつくることです。つまり、自分がやりたいことを素直に言えて、失敗したとしても「だめだったね」で済まされる環境。自分で選んだことで失敗したのであれば、それは学びになります。ですが、先回りしてやらされたことや好きでもないことで失敗して責められ、「やっぱりできない」「またできない」が度重なってしまったら……。子どもにとってつらい経験として心に残るばかりか、余白もどんどん失われていくかもしれません。
子ども自身が個性を認識するのは
同年代との触れ合い
子ども自身が余白に気づくには、とくに未就学児であれば、同年代の子どもとたくさん触れ合うことが重要だと考えます。おままごとや戦いごっこなどのごっこ遊びでは、擬似体験を通じて失敗や成功、人との関係性を学んでいきます。上手い下手、強い弱い、得意不得意といった違いを意識することを通じて、自分は人とは違う、違っていい、つまり個性というものを子ども自身が感じるんです。いいことも悪いことも、身を持って学ぶんです。もちろん、その過程で子どもにとって辛い経験や失敗もたくさんあります。ですが、それはたいてい、いい結果に結びつくと考えていいでしょう。
そのときにしかできないことを
たっぷりさせてあげよう
子どもは発達過程で、そのときにしかできないことがたくさんあるんです。先取りして何かをはじめることで、そのときにしかできない何かを犠牲にしてはいないでしょうか。子どもが自由に遊ぶ時間が減り、代わりに習い事の時間が増え、親の「どうしてできないの」というため息が増え……。他の子と比べられ、評価され、また別のことに挑戦させられる。ひと言で言えば、余計なお世話なんです。子どもの人生のストーリーの余白に書き込みをしていいのは子ども自身であって、親ではないんです。
個性は揺るぎないもの
先回りせずに見守って
生まれたばかりの頃は、その成長を見て、親はただただ喜ぶじゃないですか。このような見守りを続けていれば本来持っている個性は伸びるはずなのに、いつしか周りと比べ、先回りをするようになる。そして「個性をのばす」と言いながら、「勉強ができるように」「一流の大学に入れるように」と、結局周りと同じことをさせる……。これは没個性では。
辛い体験や失敗によって、子どもの個性がつぶれるのではないかと心配になり、先回りして学習させたり練習させたりするのかもしれませんが、個性はそう簡単につぶれるものではないのです。生まれもったもの、揺るぎないものなんです。先回りしすぎると、子どもの「言ってみよう」「やってみよう」という余白が奪われてしまう可能性があります。関心を持ってただ見守っているだけで十分なんです。
たくさん褒めてあげるのもいいでしょう。本人がそう思っているであろうことをこちらからも語りかけて、成功体験を強化するのです。ただし、「褒めればのびる」「成功体験を強化するために褒める」という考えは逆効果。目論みがあっての褒め言葉はやめましょう。「やりたい」と言える→やってみたらできた→親もともに喜ぶ→次の機会にも素直に「やりたい」と言える。このサイクルによって、子ども自身が余白に気づき、そこに新たなストーリーを書き込んでいく。それによって個性はのびていくのではないでしょうか。
こういった議論をするとき、大人は大抵よい個性の話をするもの。ですが、生まれながらに持っているものなので、よいものもあれば悪いものもあります。同年代との触れ合いを通して、子ども自身がそれに気づき、試行錯誤しながら余白に新たなストーリーを紡いでいく。親が子どもの余白を奪ってしまわないように、難しいかもしれないけれど、先回りせず、ただやさしく関心を持って、そっと見守るようにしたいものです。